Elsewhere
たわいもないといえばまことにたわいもない話。人は死んで後、天国でも地獄でも煉獄でもない、エルスウエア(Elsewhere:どこか別の場所)という場所に行くのだという。そしてそこで、地上で生きた年月と同じ時間をすごす。ただし、今度は死んだ時の年齢から始まって、どんどん若くなり、0歳になった時点で再び地上に戻り、別な人間として生まれ変わるのだという。
2004年2月に生まれた萌々は2005年1月に死んだ。彼女が地上を歩んだ日数は330日。あと3日でちょうど11ヶ月になるところであった。そしてそれから11ヵ月後(厳密には326日後)にまうら(茉里)が生まれた。
生まれたばかりのころは、まるで思わなかったが、最近、まうらの顔を見ていると、萌々の死んだ時の顔にそっくりである。思わず、「そうかもしれないぞ!」という気持ちになる。
ところが、ここに一つ厄介な話があって、あまりおおっぴらにこの説を持ち出すことができない。それは、まうらは我亡父甫(はじめ)と誕生日が同じなのだ。だから甫と萌々の両方を愛してやまない我母などは、「父ちゃんと萌々ちゃんの生まれ変わりだわ」とクリスチャンらしからぬ発言をしてはばからない。
萌々はともかく、芳言も、法貴君も、後三十年あまりでこの世に復活するのだろうか。芳言たちと出会えるとしたら、私は100歳近くになっている。多分、もう呆けてしまっているだろうから、赤ちゃんとなって生まれ変わった彼らに気づくことはないだろうし、仮に気づいたとしても、向こうは、こちらのことを覚えていないのだから、コミュニケーションは取れそうもない。逆に私があと20年で死んだとすると、彼らは思春期真っ盛り。77歳の老人との会話を楽しむなんて気にはならないだろうな。とすると、「萌々がまうらとして生まれ変わった」という話には大いに感じられたわくわく感がこの二人の場合にはまるでなく、すれ違いの寂しさだけが残る。
ふと見ると、当のまうらは、そのクリームパンのような形状の鼻を指差しながら、「わ・た・し・・・ま・・・」(我茉里なり)と誇らしげに宣言している。
やっぱりまうらはまうらなのか。