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歴史的文献に最初に名を残した「黒宮」はどのような人物であったか、なぜ歴史に名を残すことになったのか、その答えは、意外なほど身近にあった。
その答えを知りたい人は卍か藤の紋に触れてください
と
こちらからどうぞ
山路に残る「黒宮」の家はすべて、左卍(普通の寺の卍)か右卍(ヒットラーが有名にしたのと同じ向きにカギがついている)を家紋にしている。山路の黒宮から別れていった佐屋の黒宮も同じく左卍を家紋としている。
そうでなくても、「黒」という色の連想から、中国人には「悪魔宮殿」というのすごい意味をもつらしい我らが「黒宮」姓である。それに加えてなぜ、だれが、何故に、このような卍の家紋を使うことに決めたのだろうか。
私たち黒宮一族がどこから来たのか、そのルーツを探る旅に出かけよう。
   
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1574年長島一向一揆は、信長勢に完全に鎮圧される。そして一揆大将であった黒宮次郎右衛門一族も滅んだ、かにみえた。しかし、それから50年後、我らが黒宮は、山路の自らの地所に随順時を建立し、また八幡社を勧請する。
以来4世紀にわたって山路の地に生きてきた我が黒宮一族の江戸末期から今日までを、考証する。
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